飢餓や疫病に怯え、水と食料を命がけで奪い合っていた大昔に比べたら、我々はなんて恵まれた生活をしているのだろう。しかし、この現代社会を本当に楽園と思っている人がどれほどいるのか?
幼い頃から競争に晒され、他人の評価に怯え、心は宙を彷徨う。
この苦しみの根源は何か? なぜ心はいつまでも満たされないのか?
それは心が外を向いているためにある。社会がそうであるように、我々も全てのことに主観的に「判断」を下している。自分は正しい。自分はこうあるべき、あの人はこうあるべき。好きか嫌いか、いいか悪いか勝手に決めつけ、それにこだわる。そして、現実との違いに焦り、苛立ち、妄想は際限なく肥大化していく。自由であるはずの心に自分で足かせを嵌め、もがき苦しんでいる。
目を閉じ、心を内に向ける。何を悩んでいたか、何を妄想していたかラベル(言葉)化し、否定も肯定もせず、ただ受け止める。客観的に自分を見つめ直すことで、失いかけていた心を取り戻す。過去にも将来にも周囲の声にも囚われることなく、今できること改善できることを考える。
地位、名声、金、車・・、ヒトは心の拠り所を歓楽的で世俗なものに求めがちである。しかし、物質的なもの・世俗的なものへの欲求に際限なく、手に入れると同時に失うことへの恐怖がつきまとう。この命全うするまで残るもの、それは何物にもとらわれない自由な心。