自転車でお遍路を巡った時、お寺ごと2回ずつ唱えていた般若心経。この漢文の内容を調べてみた。
この世界は「空」である。自分を含めた全ての物質、この感覚さえも幻想みたいなものだという。そんな訳はない!手に取ったコップは硬いし、水も入る。勝手に消えたり現れたりしない。しかし、そのコップが作られる前は何だったのか? 数十年、数百年後、そのコップはどうなっているか。同じ形を保っているだろうか。私たちもまた然り
この世界は時間と空間からできている。空間は人間にとって認識しやすい。法律でも土地の権利とか明確に規定することができる。しかし、時間はどうか? 時間を直接的に認識することはできない。物の動き、変化によってしか認識できない。
どんな金持ちでも大統領でも所詮、土から作られ土に還る泥人形のようなもの。大金をはたいて得たどんな名品もあの世へは持っていけない。夢の中で得た大金が、目が覚めたら何もなかったあの虚しさと同じことではないか。得られるのは刹那の高揚だけ。結局何も手にできない。それなのに、何を求める?何を悩むことがある?
名誉、プライド、承認欲求・・。我々はちっぽけなこだわりを捨てられず、心を不自由にして生きている。さらに悩ませるのは未来への漠然とした不安。年老いたら醜くなる、体が不自由になる、貧しくなる・・、そして死。その恐怖から心が弱り、希望を見失う。
なぜ不安になるのか? なぜ未来に恐怖するのか? それは、将来もこのままの生活を維持できるとは限らないためだ。それどころかコロナのため今の生活すら苦しく、良くなる見込みすらないという人が増えてきた。
しかし、幸いにも現代はネットなどを駆使し、興味ある仕事を見つけることが簡単になってきた。今の生活を維持するというこだわりを捨て、人の役に立つ・興味がある仕事をするためならどこへでも行くという気概を持つことができれば、心は自由になり前向きに生きることができるかも
1ヶ月、2ヶ月お遍路を巡るのもいい。常識や固定概念に凝り固まった長年の思考回路を打ち砕いてくれるだろう
「悟るが故に十方は空なり」 心が自由になれば、ここは何の障壁もない明るい世界だということがわかるという